ぼくらの

ぼくらの 1 (IKKI COMIX)

ぼくらの 1 (IKKI COMIX)

ぼくらの 7 (IKKI COMIX)

ぼくらの 7 (IKKI COMIX)

操作や操縦の方面は、どうも自己コントロール感から考えてしまう。「ブギーポップは笑わない」を読んだときの「自動的」という部分とこれは符合する点があるような気もする。ただ、違うのは「自動的」が意思として持たない動作としての自動であることと、「ぼくらの」の「操縦」は「ブギーポップ」にある「自動的」と違い、”操縦の後に自動的なものがやってくる”というものにあるような気がする。原作にもあるように、操縦しながら「なぜ自分が」という逆転の位置を描いていることが違うんだろうかと考えた。
ただ、ブギーポップも「リバウンド」とあるように展開がどうなるかわからないところがある。オキシジュンというキャタクターは、その対置にある、「自動的」→「リバウンド」→「操作」を意味しているのかもしれない。末真和子が後継(のようなもの)として受け継いだから、その後の展開はまだ読めない。逆に、「操縦」→「リバウンド」→「自動」という逆位置としてあるのが「ぼくらの」なのだと考えれば、そういった時代的変遷のようなものも垣間見られて面白いと思う。
ビートのディシプリン〈SIDE3〉 (電撃文庫)

ビートのディシプリン〈SIDE3〉 (電撃文庫)

また、業というあたりはビートのディシプリンと相似しているようにも感じた。私はビートのディシプリンの話がシリーズの中ではもっとも好きでもある。