時間の遡行「モモ」
- 作者: ミヒャエル・エンデ,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/06/16
- メディア: 新書
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「時間」というものが「存在」するのならば、それは「未来」において立ち現れる空間のようなものだと思う。もし、「未来」と「過去」が「現在」において分断されていたならば、「現在」は「未来」と「過去」に振り回され、その間の「事実」だけを貯蓄し、記憶し、「現在」を忘れていくのだろう。『生命の思考や行為は全て動体性に依拠する』という私の知覚する道のようなものも、「現在」という道筋とイコールで結ばれている。
以前は「灰色の男たち」が一体、何をそこまで欲しているのかわからなかった。消え去った「現在」の間に立ち現れた「灰色」という、「白」と「黒」の中間存在は、「現在」に存在しない葉巻のように消え去る現在を吸い上げ、現在を欲している。
「時間の逆流のせいなのだよ。おまえも知ってのとおり、あそこではなにもかもさかさまにやらなくちゃいけないだろう? つまり、<どこにもない家>のまわりでは時間がさかさまに流れているんだ。ふつうの場所では、時間はお前の中に入ってゆく。それでおまえの中には時間がどんどんたまってゆき、そのためにおまえは年をとってゆく。けれども<さかさま小路>では、時間はおまえの中から出ていってしまうのだ。おまえはあの道を通りぬけるあいだに若がえる、そう言ってもいいね。でもそうたくさんじゃない、あそこをとおりぬけるにつかったぶんの時間だけ若くなるんだよ。」
「灰色の男たち」は、もしかしたら思考と身体が「乖離」している間隙に潜み、「乖離」を葉巻にして吸い上げているのかもしれない。時間を使い葉巻を吸い込み、吐き出す。それを繰り返す。けれども時間をさかさまに覗き込めば、時間は若返り、花は元の色を取り戻す。また、人は年齢を重ね、言葉と身体が繋がっていたのだという事を忘れていくこともあるのだろう。「表側」の言葉を表のために使うのだ。だから「表側」としてしか話せなくなっていけば、次第に魂と乖離していく。乖離してしまった後は、外側として内側を覗き込むしかなく、それは高所から地面を見落ろし漠然とした恐怖感に苛まれるのにも似ているのかもしれない。唐突に飛び降りれば、その重力によって圧死してしまうことはわかっている。
「非常階段」「螺旋階段」「断崖絶壁」「穴」「教室」「暖炉」「非常毛布」「ランプ」――様々な品や、落ちていた道具を携え、時には廃棄し、体力を損なわないように階下へと降りていく。唐突にモンスターが現れ、逃げた後に「穴」が存在し、モンスターは、彼が必死にかけていた手を踏みつけ落とす。地面に尻餅を打って体力ゲージが減少し、アイテムは底をつきかけている。一階降りられた事に気付かず、上のモンスターを今度は撃ってやろうという気概で、彼は降りていく。いずれ「到達」すると信じながら、ゲームに終わりがくるのだと信じながら――。ようやく外への扉が見える。外に出れば、今までと変わりない風景が見え、なんだか当り前に、はじめからそこに存在したように彼は知覚する。
後ろを振り向けば、そこには、かつてモンスターに見えた花があった。それは時間の花である。彼は、それを覚束ない手で、祈るように掴み取るだろう。