傷のはなし

耳の掃除をし過ぎたのか、外耳炎になって膿が出てきたので病院にいく。病院にいって治療してきたはいいものの、その帰りに「下り」の段差があることが見えずに、足を踏み外しこけてしまった。これは「気づいていなかった・知覚できていなかった」のだろう。
こういった「くだり」の段差を、私は気をつけていなければならない。なぜかというと、視界を「立体的」に捉えることがなぜか難しいからだ。頭の中で「立体」を描くことはできるが、目の前にある視界、目に移る今現在のものが平面的であるから、たぶん「段差がある」と理解していてもその「高低差」がわかっていない。よくつまづいたり、妙なところでこけたり、頭上の障害物に気づかずにそのまま電柱にぶつかったり木にぶつかったりおでこからつっこんでしまったり。
「痛み」というのは実際には身体をどこかにぶつけたり、あたったりすることで痛みとして感じるものが通常「痛み」という言葉を聞いた時思い浮かべる言葉だろう。しかし文字を負うと、脳の部分が「痛み」として感じられる感覚がある。これって、どういう脳の部位から発生するものなのなんだろう。痛覚を麻痺させる方向ではなくて、むしろ鋭敏にする方向に向く。またそれは、「映像」ではなく「文字」として想起するときにより発生しやすい気がする。文字の羅列が「文脈」→「イメージ」となって、一斉にそのイメージが何らかの記憶を強く呼び覚ますってことはないんだろうか。このあたり研究している論文があれば見てみたい。