Security hole hacking


 セキュリティにF5連打、セキュリティにトロイの木馬を置く。
 発動を待つ――セキュリティホールにiという思考を置き去りにした後、爆破し解体する。
 憎悪の斧は振り下ろされる――空白の中にある檻。
 解析した泥の中には、マイクロチップが入っている。
「感情には、味がある。まっすぐな気分には、さわやかな後味が残るバニラ。いらいらしている気分には揺らぎが混ざっているような、ラムレーズン。沈んだ気分には、後味がのどに残るアズキミルク。悲しんでいる気分には酸っぱいブルーベリー。怒りの気分には、バニラエスプレッソ。楽しい気分には卵をふんだんに入れた滑らかな甘みのあるカスタードクリーム。嬉しい気分にはさくっとした歯ざわりを感じるクッキー&クリーム。圧迫感を感じている気分のときには、もうすべてがまざったような味になる。味なんて分からない。すべてを咀嚼している気分になる。ゆっくり舐め味わうのではなくて丸呑みにしなくては全部融けてしまう。
 もちろん、それぞれの味は二段重ねにしてあったり、上品なカップの容器に入れられたりすることもある。ときおり上品なカップをプレミアムモノだと思って買いに来るお客さんもいて、それであのお店は商売繁盛してるんじゃないかな。二段重ねだけではなくて、三段重ねもあるし、それを目当てに前もって予約してそれだけを求められることもあるみたいだ。でも、もともとその気分にあった細かい注文に答えられないこともある。ストロベリーな気分でも、それをストロベリーください、とちゃんと言わないとわからないだろう? だから、予め”二段重ね、ストロベリーでお願いします”という。ただ、それをいうと、今度はストロベリーがおいしいお店なんだと思ったお客からその注文が増える。だから、その細かさに気を配って、例外を作っていく。けれども、ストロベリーは気分メニューにはないから出せないとなると、何かを代用してストロベリー味に変えるしかなくなる。
 ストロベリー味じゃないとなると、ブルーベリーとバニラとラムとビタミンCを混ぜて赤で着色したものを上品なカップに入れて配る、みたいなことになる。でも――ストロベリー味を注文したのにストロベリーそのものの気分はあじわえないことになるってことは、ブルーベリーとバニラとラムとビタミンCと着色料の味になる。でも上品なカップだからわからないこともある。で、食べてみるとストロベリー味ではあるのだけれど、混ざってるから何かしら圧迫感を感じる。でも、ストロベリー味ではある。”何故そんな風に混ぜなければならなくなったのか”――”客が注文したから仕方なく”。そして、”仕方なく”を選択したのも当人だ、ということだよ。選択ではあるが、妥協でもあり、妥協を選択していることには違いない。ないものを求められ、ない、という形での妥協ができずに、ある、という妥協を選んだということだ。その、ある、という妥協は例外でもある。例外への注文を受け入れ、いろいろ混ざって出来上がったストロベリーは、オリジナルなストロベリーよりも広範性のある、より例外を受け入れることのできるストロベリーになる。比率を変えて調整すれば、同じデータにのっとってそれで大量生産できる。でもやっぱりそれは、”仕方なく”だから、選択したストロベリーが本当にストロベリーであるのか、当人にもわからなくなってしまった、ということだ。
 いますぐにでも受注生産を止め、輪転機も稼動停止。仮にオリジナルストロベリー味の店が稼動しているとすれば、二次的な複製ストロベリー味を味わっていたお客はたちまち去っていき、オリジナルに向かっていくと思える。だからまわす事をとめられないことがある。求めている感情の味をそれぞれもらうことの出来るところにまた舞い戻って行くんだから。それが”仕方なく”を選択した確率の高い予測での結果・結末、それを怖れ再帰していく運動が”まわし続ける”ということだ。ストロベリーな味のする感情は赤い情熱たぎる、恋のようなものだ」
/
「恋とは理解可能なもののことだ。理解可能なものなんて、憎しみだからね。理解不能なものに近づくことを愛と呼ぶが、理解可能性に近づくことを恋、といってもいい。恋愛とは、語義矛盾しているものなのだろう。理解可能にする思いが恋で、それが叶うとそれは反転し、憎しみとなる――理解可能なストロベリー味を”仕方なく”まわし続けると、今度は憎しみを再生産させることになってしまう。好き、という恋が、逆効果を生んでしまうことになる。オリジナルは、オリジナルを追いかけている中にしかオリジナルはない。だからこそ、それを追いかけている最中は常にオリジナルであり続ける――」
/
オリジナルを求める必要性なんてどこにもないんだけど――虚無にならないためにはそこから抗うことしかできないと、呟くように軌条理子(きじょう の りこ)は笑う。レールの上で理性を逆走してしまいそうだ。理子は傘を手に持ち、雨で塗れたアスファルトの地面をヒールで蹴る。ショルダーから電子音が鳴り、理子はそれを取り出すと「はい」とそれに声を掛けた。理子の耳元にあてた場所から、「助けて」という声が響く。それがそのまま”その人物そのもの”となって置換されていくのである。
「ねえねえ、最近、遊びに来てくれないじゃないの。暇なんだけどー、なんか、あっちに出張に行ったお土産とかあるんじゃないの」
 理子の手に持った携帯電話の相手は斉藤里香(さいとう りか)という、理子の中学時代からの友人である。
「ううん、ぜーんぜん。メンドイからあんたにはあげない」
 一瞬の空白の後、短く相手は「あ、そう」と返した。
「なによ、”あそう”って――いつものことでしょう。お土産、なんて気の利いたことわたしがしないことなんて分かってるクセに」
「そうなんだけどー、誰も遊びに来てくれないし、どうしていいかわからないし……理子しかいないんだって、ねえ、きてよう。あ、そうそう理子って友達いないじゃない、だからわたしのところが一番すみつきやすいし」
 どろり、と垂れ流されたコエが沈潜する。
 以前彼女――里香の夢の中に入り、その中で切断されたリンクを繋げたことがある。実体は実態参照としての夢の顕現であり、夢に対する行使は、同様の実態参照を用いることで介入が可能だ。ただ、こちらのエネルギーが枯渇していると夢の視界が暗闇、または空白になってすべての視界はブラックアウト、ホワイトアウト状態になる。まあ、ブラックアウトになるのは急激なダウンで、ホワイトアウトは鈍磨し続けるダウン状態といってもいいかもしれない。で、ホワイトアウト。全てが白に塗られ平面化――平板化した世界である。ここはどう在っても「生かされる」。そこにある声が真実だ。
 ただ、「助けて」というコエが夢の内部にあるSecurity holeなのだと理子が知ったのは最近だ。このコエに吸い寄せられ、更にこのコエは憎悪も同時に持っている。虚無は、ただ虚無自体を隠すがゆえに、コエによるブラックホールへといざなった対象をすりつぶし、攪拌するのだろう。
 コエの理由をただ、知るために誘いに応じよう――