心臓か肺か

敵意性は

広い概念で、anger(いかり)、攻撃性、終始後ろ向き(negative outlook)などを含むもので、感情、一過性の行動、思考、態度を含むものである。認知機能成分としての思考、態度は、皮肉的であり、不信感に充ち満ちているものであり、他社に反対することを望み、他者へ害を及ぼすことを望むこともある。
敵意性とその表現の間には違いが亜有る。敵意性の存在は主観的であり、多分に感情、疑念、皮肉的発送である。表現や行動的な敵意性というのは攻撃性を客観的に観察するものであり、言語的、身体的な者であったりする。(BMJ 1997;315:379-380 (16 August) )

敵意性増す毎に肺機能低下 : 内科開業医のお勉強日記

心臓が「痛い」のか、と思っていたけれどこれは循環器――肺のほうにあったのだろうか。左胸だからか、自分自身で感覚したものは心臓だと思っていた。敵意性の発露というよりも、敵意性を類推することに対する不安から、敵意性を内在化する、というのはあるのだろう。これがやっぱり、恐怖、不安から敵意性や攻撃性を招く要因になっているのかもしれない。*1

これができる人は、心に負荷を感じた時、容易に感情を切ることができます。逆にいわゆる「どうしても感じてしまう人」は、これが出来ないために精神的な負荷を溜めてしまいます。

2007-06-24

私にはこれができていない。オン/オフの自覚が仮にあったとしても、オンとオフの使い分けそのものができなければ意味がないのかもしれない。

*1:引用のとき、誤字脱字がちょっと気になった。