作者
作家、というものについていくつか考えたことがある。私はこれまで、世界観が大切、文章が大切、視点が大切、といろいろ聞いた。そして、その中でもっとも大切なものは世界観である、とも聴く。また、それを総合したある種の「政治性」を持ったものが大切、ということも言えるのかもしれないとも思う。面白い作品には、何がしかそういった「何か」を含んでいるような気もする。しかし、それは「出来上がった後」の結果論でしかないのかもしれない。
一人の作家の歴史を追ってみると、確かにそういった痕跡があることも観察することはできるけれども、それは「何かからの逃走/または闘争」であったのだろうかと考えることがある。抗い続け、そして「諦念」を抱くようになる。その「諦念」には「それ自体」が在る、ということを指し示すような描き方によって、それが自分自身に存在していたのだと理解するような形で現前するような「何か」である。物語はそれだけで人間が物語の中に埋没し、キャラクターを演じ、結末に向う「何か」へと目を遣ることになる。前期、中期、後期と分解するとわかりやすいかもしれない。
「結末がないこと」。そんな感覚がある作家というのはセカイ系、といわれる作品を描く作家にいるような気がする。ただ、それらはセカイ系という体系におさまっているわけではないのだと私には思える。