エッセイ

エコー

最近、どうもエコーのような返事しか出なくなっている気がする。自分では、疲労しているかどうか、ということがよくわかっていないのかもしれない。

説明書き

私は”「偶然」と読み取るという事象が理解できない”ことで「疲れる」ことが多い。偶然があるということは「社会性」を持つ、ということなのでしょう。「偶然」と理解する、ということには重要な要素がある。それが「自分にあてられたものではない」という感…

合理的解決法

余計なことを言ってしまうことがよくある。同じことの繰り返し――とそうなってしまった状況の原因を考え途方にくれている。だから、人間の認知メカニズムがほしかった。 私は以前から集団についての合理的解決法を提案するのが好き、といってはおかしいのかも…

キレイは汚い、汚いはキレイ

名前を忘れるという感覚は、言葉を覚えるのではなくて思考を取り込むということと似ている。言葉そのものの象徴を取り込み、一まとめにする、という一種の取り込み手法だろう。ただ、それは「簡易」にするために執り行われる為、「言語」そのものは処理段階…

作者

作家、というものについていくつか考えたことがある。私はこれまで、世界観が大切、文章が大切、視点が大切、といろいろ聞いた。そして、その中でもっとも大切なものは世界観である、とも聴く。また、それを総合したある種の「政治性」を持ったものが大切、…

或る言葉のimage

言葉とは「感覚」を総動員して搾り出すようなものだ。そうではない場合があるときというのは、私以外の物事について語るときだけであり、そのときだけは向こう側と言葉を交わすことが出来る。 想いを総動員することなく言葉をそのまま出しているかもしれない…

Me'mento-Mori

「死」ということを、私は幼いなりに考えた事がある。「死」という状況と「死ぬな」という規範・まなざしの板ばさみとなって「死」を選ぼうとしたことがある。「死」という可能性は日常の中に、「死ぬな」という言葉は私の内側にあり、その矛盾が、「現実」…

心と体

周囲から責められると、その世界全てが自分を責めているように感じられる、という状態だった頃がある。今でも、そうした兆候はあるものの、他者認識が出来る前の私は、「自己完結」した自己によって、他者が「わからない」から自分の中で他者の評価を勝手に…

感情抑制

私は、全ての原因に”「感情」が抑えられなければならない”という状態が原因なんじゃないか、と思う。 「感情をおさえる」というのは凄く難しい――というよりも不可能だろうと思える。「蔑視」にしても、感情を流出させまいと抑えている人達専用の「感情の捌け…

全体概念と類推

「みんながんばっているんだよ」 このような共感を求める言葉は、何故か「私」の認知では「死ね」になるらしい。困ったものだ。この認知を緩和する為にも、自己認知療法だけではいけない、自己催眠を行い、自己の理解を深めないとだめだ。 「みんながんばっ…

欲求―過去の痛み、経験の融和

私は、今も過去も、同時生起しているものと考える。過去を思い出している”私”は現在に居る。その時点で、「時計」としての過去はあっても「認識の過去」はない。もし、「歴史」というものが客観的なものとしてあるのならば、それは時間として過ぎ去った、他…

感情の増幅反撥、その受容

閉じられようとしているサイトを見て、なんだかとても悲しくなった。閉じてしまう、ということがではなくて、閉じるのをやめて欲しい、ということではなくて、「とても深い心の傷を負ったままやめてしまう」ということがとても悲しい。 何にしても言葉に対し…

メタ視点の有益性

メタ視点という思考の道 例えば、一つの一車線道路があったとして、そこに車があるとする。私はその車に既に乗っていて、ハンドルを握っている。進んでいくと右、真ん中、左といった三叉路に別れていた。看板も何もなく、何処へ進めばいいのかもわからないか…

出口からの脱出

本当は、諸手を挙げて自分も自分も、と病態に対して軽々しく手を上げてはいけないのかもしれない。ただ、そこで思い出したことがある。以前、私は「鬱病の人と鬱病と自己診断してそうだからしょうがないという人がいるから」という分析と証した分別させて定…