森と最終兵器彼女

言及スカラー測定法に基づく機銃掃射 - シロクマの屑籠
パニックを起こすのには、条件があると思う。
ジャングルの中で鳴らすことが出来るサイレンの数や種類は決められている。また、塹壕から持ち出せる武器の数や種類も決められている。荷物の大きさも決められている。
塹壕から持ち出した武器の数が「評価」で、種類が「感情」の強さだとする。また、手渡されたその武器の実装は、強制力を持ったものであればあるほど強い。サイレンは色調や波長で光度が決定され、紫外線は「じわじわ直接」、赤外線は「警備網」のようなもので「隔離的」なものだ。
サイレンを鳴らされたあと手榴弾を投げる場合は、武器を使用して攻撃を「返せない」ものとしての認識はない。パニックを起こして食糧をこぼしてしまうことがある。サイレンの中に武器が混じっていることがあり、人はその武器が何であるか知っているほど恐怖心が湧き、何かよくわからないものという認識であればおぼろげな不安を見せるくらいになる。それを荷物に詰め込むことになるが、ショルダーバッグでは小銃くらい。ナップサックではある程度いろいろ詰め込める。けれども最終的には、時間差としてショルダーバックの手榴弾を投げつけたり、ナップサックから機関銃を持って射撃するかもしれない。
たまたまそれを直接「いりません」「持ちたくありません」と返せないまま荷物だけでなく身体に装備することになる場合があって、また装備された兵器を返せない状況もある。また、その「切欠」によって「改造」されたものが多いほど「最終兵器彼女」になっていく。
この場合、「警備網」がつくられた経緯や先後関係を複雑系などの指標を用いて証明するとわかりやすくなる。「直接的」なもので「警備網」はほどかれることがある。また、「直接的」に向かって「いりません」ということも勇気が要るから、自らをさらけ出す行為に他ならず難しいところではある。

追記

あと、ブックマークを「情報」や「資料」集めに使用しているため、「スルーする」という一点の評価基準では物事を表せないかもしれないかな、と思います。煽りなどの言説は、採用する場合と棄却する場合の二つに分断されるため、棄却される側としての認識を持ち、かつブクマすることに躊躇があると苦痛として感じられる可能性があるため、できるだけしないように、とは気をつけています(もちろん煽りがだめだというわけではなくて、私がどちらにも属せないと感じられることに起因しています)。失敗もありますが……。
「水は高きから低きに流れる」という言葉で、私の考え方を見てくださっていたのだなと思ってほっとしました。ありがとうございます。
ちょうどイラクの紛争と混沌状況のことを図式的に考えていたので、過去起こった戦争の末期としての現象と似ているなと想い例示としてあげたのですが、後で、あれを「戦争」とつなげたのは書き方としてまずかったかなと思いました……ごめんなさい。