態度

「私に蓄積された全情報から観察・統合・出力(本からの入力や文脈や態度など)」されたものという情報に人格はない、と思っている。一つの記述から態度が見える場合と見えない場合があるんだけれども、多分私は「記録を観察する観察者」という態度しかない気がする。<私>への観察が、その時点での<私>自身ではあるという態度。文脈が変わるごとに角度が変わってしまう――つまり一記述に<私>が複数回存在することになる、という記述態度も存在する。私自身も、こうした記述を「個人」として書いている記述はその方のパーソナリティを想像しにくいけれども、それでも私はそういった記述態度が好きなのかもしれない。
ただ、記述態度の中に人格はなくても、かすかな感情はそこにあると感じ取れる。ダークネスな感情が一番珍しい。透明なものが一番多い。白色、ピンク色、黄色もある。私は、今は灰色のような気がする。最終的には、透明に戻っていく。大変な中にいる場合、渦が発生している。