胸の痛み

実際に「胸に針を刺されている(時間経過と共に多くなる)」ような痛みについて。

身体症状への転換
このように、葛藤についての意識を自分自身から切り離したとしても、葛藤そのものがなくなるわけではなく、また意識から切り離しがうまくいかない時などには、その苦悩が体の痛みや機能障害に転換されることもあります。この場合に生じる身体症状は重いことが多く、明らかに医療が必要であると思われたり、周囲の人間の関心を呼びます。
本当に体の病気や外傷が合併していることもありますが、そうした傷病の一般的な訴えよりも、解離性障害の患者さんの訴えのほうがはるかに強かったり、通常とは違う訴えがみられます。
患者さんは意図的にうそをついているのではありませんが、時にはこうした症状によって葛藤から逃避できたり、周囲の人間から援助を引き出すことによって利益を得ていることが明らかなこともあります。

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葛藤が原因・主因だったんだろう。葛藤を解除できる「理解」によって身体症状が同時に解除される。社会的状況におけるジレンマとパラドックスの中心、ということなのだろう。また離人症状に急性ストレス状況下が加わることになると、「健忘」と「時間感覚の薄さ」が出てくるようになるのかもしれない。
「健忘」は、想起の問題で、ストレス下にあると自己を統合する機能を通じず、直接言葉を吐き出してしまう状態だろうか。嘘ではないのだけれど、「苦しい」という切り離された「葛藤」が滓となって沈潜していくような感覚はあって、「苦しい」という言葉そのものが、「無意識(経験、声などの)」によって既に「押しつぶされている」状態に「身体症状」として発症するのだろう。「健忘」という想起の障害が同時に起こると、「抑圧している/されている」ものが突然「噴出す」という現象となり、それが強烈な感情となって観察されるのかもしれない。
むしろ、それは「抑圧している/されている」ため、吐き出す必要があるにも関わらずすでに「押しつぶされている」ために身体症状として発症するのではないだろうか。集団から照応関係として導いた、社会的な発症の順序、というかそういうものが「気質」的なもの(なりやすいか、そうでないか)ということ以外に、外部要因からの環境としての手順が存在するのではないか、と考えている。