私信

id:b_say_soさんへ。
私は遠くからしか関われない人間なので、今まで言及という形はとれませんでしたが、今回言葉にしようと思いました。
事実と違うことが記述されていることに対し、私は、それが意図と違う解釈とされることが怖いのかもしれない。ただ、意図は当然ながら正確には伝わらないし、解釈を通じてしかわからないものだと思う。
どんなことを言いたいのだろう、というその想いはとてもありがたいと思う。それは多分、私とb_say_soさんと直通のコミュニケーションとして「ああじゃないかな」「こうだよ」という相互関係の下で成り立つものであって、やっぱり解釈に不備が出てしまうから、これは至極書き方の問題でしかないのだと思う。
「こうなんだよね」というのがやっぱり違うという解釈がされるならば、「それは違う」ということはやはり「こうなんだよね」と言った方の言葉を跳ね返すことになる。それは、そう話した方を傷つけることにもなります。b_say_soさんは誰かを傷つけるような言動は決して採ってはいないから、私はそれをとても嬉しく感じていた。だから、多分「違うんだよ」と返答しにくくなってしまう原因がそこにあるのだろうと思う。また同時に「違うんだよ」という言葉そのものは、私自身の感覚に基づくものです。けれども、私自身が「違うんだよ」と言わないことによって、それが事実となってしまうとするなら、結果としての評価もやはり「違う」ということにしかならないのだと思う。
ただ、b_say_soさんとは何がしか近しいものもあるから、結構あたっている側面があるのではないか、と思います。私は相手の意図を読み取ってその望みに沿うように動くというよりも、強い思念や感情に逆らえないことがあります。だから、意識的/無意識的に関わらずそれを実行することがあるのです。結果的にそれが失敗という結果となるとしても、それは私の責任であり、解釈し言葉を発した側にはないから、逆らえない操作を受けた私自身のものとして受け取らなければならないことになる。
b_say_soさんはとても優しい人だと思う。重なる領域というのは私も感じられる。ただ、「重なる領域」というものが何であるか、ということはやはり会話や相互関係の中で成り立つものではないかな、と思う。直接に伝達があれば返答はできるし、名指しされればそこに返答する余地ができる。また、「心」から一歩踏み出す前に、「気持ち」ではない、「ほかの代替」によって共有するものを選ぶという選択肢もあるのかもしれないと考えています。
好意はとても伝わってきたのだけれども、どうやって返答すればいいか今までよくわかっていなかったことは申し訳ないと思う。また、気遣ってくれてありがとうと返すべきなのだろう。