個体/集団

とあるムラ集団があった。彼は行動することで、可能な限りの生存可能性を探る。自力で、可能な限り様々な可能性を行為で潰していく事によって、残った可能性を見つけ出すという類推過程をたどる。個体を生き残らせるために、集団という塊を創りだし、群れをつくることで、外部から来る強敵に備える。外部に向かって走査することは集団による力を分散させ、脅威を増やす事に繋がるため、集団にとって必要の無い個体や集団は、極力排除する性質を有する。内部結束をいかに持続させるかが、結果的な生存率を左右する。集団の生存を最も優先することで、自己の生存を保障させている。その為自然淘汰の波の終末には、集団同士の結束によるエネルギーのせめぎあいとなり、最後に残った運(土地や食料状況などの環境に左右されるが)の良い一つの集団が生き残る。個体エネルギーを集中させ、集団内部に強力な磁場を有することになり、それが敵に向かえば武器と防具となるが、内に向かえば、いずれ縮小した内に発生する膨大なエネルギーによって自壊する。ウチとソトという指向感覚を持ち、外部は外部、内部は内部として認識する事で、膨張しつつある内部エネルギーの節約とエネルギーの拡散を防いでいる。個体そのものは内部に取り込まれているため、敢えてその事実を意識する必要性を感じてはおらず、無意識の内に行為している事も少なくない。
とあるムラ集団で佇む個体がいる。彼は行動にうつす際、生存可能性を可能な限り走査する。生存のための行動そのものは、比較的少ない。自力で様々な可能性を潰していく事によって、残った可能性を見つけ出す。同種集団では急激な環境変動が起きた場合共倒れになる、ということを恐れ、個体が安全となりうるかそうでないかという定義を事細かに細分化していく。脅威には、予めシミュレーションしておいた走査に則って行為する。敵か、そうでないかを探り、最低限の協力者を得ることが、結果的な生存率を左右する。ムラ社会的な生き残り方に比べ、最後の結果を予見する事で、巨大規模のムラ社会自然淘汰される可能性のある行動を極力排する。その為、自然淘汰の波の終末には、ムラ社会の規模拡大化に比べ、逆に規模縮小化・スリム化していく。エネルギーの拡散を予め予防することで、時間という武器を使い、ムラ社会の自滅を「誘導」するものの、時間そのものによって自滅する可能性も同時に内包する。個体と全体という指向感覚を持ち、全体が個体に及ぼす影響と「最低限」可能な生存方法を理解している。外部に発するエネルギーを節約する事で、個体で生き残る最低限のエネルギーを貯蓄している。
しかし、人間は縮小と膨張のどちらを持ち合せ、そのバランスがどちらに傾いているかの違いでしかない。どちらにしても、全体的な部分から見れば、自然淘汰によって生き残る比率も、規模が拡大する際の比率も同比率。どちらのカテゴリーに属したとしても、人がとった行動自体「自分はこの方法で生き残ることができる」という根拠の無い自信が刻み付けられている。そうしたほうが生存に効率的で節約できる」という前提のうえに立っている。他の思考方法をとることができるのは、きっと多くの人間の中で、ワクからいつのまにかはみ出てしまったほんの一部だけなのだろう。誰もがきっと、「生き残るのは自分に違いない」と信じて生きている。