正義は世間にありという不安

普段から差別表現と受け止められる可能性のある罵倒発言をしている人が「差別」だということ - ARTIFACT@ハテナ系
そう、私も少しだけバックラッシュを恐れている。何故バックラッシュが起こるのを恐れているかと言うと、大衆による「正しき」意見と「己の正しさ」を心の軸にして反撥してしまうからだろう。弱者利権主張のバックラッシュではなくて、大勢が「利権だ工作員だ贔屓だ」と言い出すバックラッシュのほうである。
私は、「嫌悪感」と「苦痛」を同時に取り扱ってはいけない、と思っている。「誰かに対する嫌悪感*1」「誰かに与えられた苦痛*2」の両者が個人の心の中に存在するとして、誰かに対する嫌悪感を罵倒語で表明すれば、与えられた苦痛は無効化されるのか否か。激しい言葉で表明すれば、絶対的な、覆しようも無い苦痛は無意味かするのか否か。私は、そうではない、というスタンスをとる。
要するに、「誰かに対する嫌悪感」は個人的な表明、個人としての責任を持った上での発言だとする。そして、「誰かに与えられた苦痛」は個人として与えられた苦痛ではなくて、自分ではどうしようもないほどのレッテルだ。そういったレッテルが過去、事実としてあったとしても、レッテルを軸として苦痛を与える事を、「誰かに対する嫌悪感」と同軸に語っても良いのかどうか。それは、単なる自己責任に帰結する、当人に絶望を与えるような二重の苦痛を与える事に他ならないのではないか。だから、「あなたが何言っても説得力無いよ」という感情が存在してしまう事自体が人の業だとして、仕方ない事だとしても、そういった意見が集まれば集まるほど、周囲が「うん、確かにそれは説得力のない自己責任だ」と納得してしまえばしまうほど、相手側にとって、言論の自由、人権、をそれだけ集団で押し潰し、踏み躙ることと相違ないことになる。
弱者利権が発生するから嫌だなあ、というのはまた全然別の話だと思う。「利権があっちに流れたらいやだなあ」という不安を感じたとしても、実際に「利権があっちに流れたらいやだなあ」と思う人が大勢いる限り、利権が発生することはない。だから、「権利の平等」ではない「平等」が阻害される事に不安を感じる人が悲しい事に大勢いれば、まず実現しにくいことだろう。
陰謀論にしても、確かにそういった人が工作員として存在する可能性も否定できない。実際に、被差別者の裏で工作員が「周囲を煽ってもっと陥れてやろうぜ」と考えているえげつない思考の持ち主も存在するかもしれない可能性はあると思う。実際にいるかどうかもわからないし、「自分は工作員だ」と名乗っている人物に面会した事も無いので事実そういった工作が存在するかは分からない。そういった前提があるとして、「工作員が活動して煽っている人がいる」なら、その工作員工作員でないものを見分ける事は可能だろうか。……ないから問題になってるんだよな。でも、「だからあの人達は」となる思考回路こそ問題視されるべきことだろう。そういった対象をおとしめようと「工作員」がたとえ存在したとしても(本当にいるかどうかはわからないし見たことも無い)、「差別され、差別された事に周囲へと波及し問題になった」事実に対して「そりゃあ工作員だろう」ということは危険な気がする。それが事実ではなくとも、周囲が賛同してしまえば「ああ、騒ぎすぎだよな、あれ。やっぱり工作員だと思ったほうが常識的に考えて正しいよな」と感じる人も出てきて、より深刻化してしまう。まず、「工作員か否か」、そういった発想自体を疑うべきなのかもしれない。
そこに集まった互いに反論し、反撥しあうエントリーが多くできたことはそれだけで素晴らしい事だと思う。ただ、その流れが「工作員活動だ」とか「より差別を悪化させるよ」とか「正義心ご苦労」といった大きな流れになるのがやるせなくなる。事態の本質ではなく、そこにある表面だけ見ようとする人が大勢いる、という問題が解決されない限り解くことができない問題なのかもしれない。ネットの「深い深いところまで情報を個人で切り込んでいけない」という構造的な問題もあるかもしれないのだけれど。対象を「陰謀じゃないか、そう思う人がいるんじゃないか、そういう流れができるんじゃないか、最後は結局陰謀論になるから騒ぐのは止めようよ」という人々の心にこそ、見えないものへの不安と憎悪が垣間見える。
もし、「言葉遣いが悪くてそういった言動が目に余るような人もいるんだから、差別だと騒いでも説得力無いよ」と感じる人がいたとして、そう感じた人の心の中は「世間(わたし)だって彼女の言動にひどく傷ついてるんです、だから激しい感情で世間(わたし)の心を罵倒や口汚い言葉で揺さ振ることが許されるわけが無いから集団で取り囲んでも仕方ない事なんです、個人があまりにも暴れるから集団で取り押さえているだけです、取り押さえないととんでもないことになるんです、それを予防する為に一生懸命頑張ってるんです、悪い事なんですか?」こう考えているのと同じである。
そういう状況が嫌だ、という人も大勢いると思うのだ。だからこそ、「言葉遣いが悪くてそういった言動が目に余るような人もいるんだから、差別だと騒いでも説得力無いよ」と感じ、不安を感じている人達こそ、説得する必要があるのだと心から感じる。

*1:個人の好悪の表明

*2:魂の苦痛の表明