感情のカラと認知メソッドの重要性

色々と「着ぐるみ」の状態を想像されているけれど、私はこの状態がよく分かる。私も、誰でも彼でも「受付のお姉さん」のメソッドをやってしまう。スーパーの店員にも、歩いてぶつかった人にも、親戚にも。まれに、「ぶつかった人に対する対応メソッド」が立ち上がり、それっぽい態度の行程を踏む事もある。
私の場合、周囲には「誰にでも敬語だね」「地方っぽさがないね」と言われてきた。誰に敬語とそうでないものをわければよいのか、地方の方言は使う必要があるのか否か。「敬語」も「方言」も、使う意味が判らなかった。「意味があるか、ないか」でしかわからないというのに、態度で判別してくれることも多い。個人的には幸いだった。敬語であるとか、いつも笑顔であるとか、そういったことは瑣末なことで、「とりあえず周囲に合わせなければならない」という前提で、そうしている。そういったことをしなければ、たちまちに「ええ」「はい」という発展性のない、機械的な反応しかできないことが明るみになるからだ。
きっと、それだと怖いだろう、周囲も怖いだろう。だから、無駄に「態度」を付随させてしまう。装着する「態度」という装備の度合いがわからず、重装備をしてしまうのだ。そして重装備の必要の無い家族内では、「はい」「了解」とか、表面的に即必要、というか会話の流れを汲むために、できるかぎりの返事としてそういった会話になる。何故、そうなってしまうかというと、内的に自発する感情が、時間を共有している相手とズレがあるからだ。
例えば、会話をしている最中、相手がこちらに共感を求める会話を必要としてきたとする。私はそういった感情を発生させ反応する為に、内側で様々な反応を起こす。まず、相手の言葉を読み解釈をし、言外の意味を経験から搾り出す。表情によってはさまざまに可能性が分岐する事を視野に入れつつ、第一段階として「返事」を検討する。ここまでが、相手と同じスピードでできる思考の流れだ。けれども、自発する感情は、「情報をインプットし、アウトプットし、とった行動を再度取り込んで意味化し解釈すること」をしなければ発生しない。通常ならば、これら、行為と感情の創発は同時に生起、もしくは言葉を出している時間差で「気付く」ことができる。私はそれが「同時」には起こらず、数時間、次の日になって検討することで感情が起こる(思い出す、とかイメージで思考するといえば理解しやすい)。だから、後で行為を省みて後悔する。できれば後悔して罪悪感を覚えたくないから、できるだけ他者を傷つけたくないから、「経験」と「失敗の少なかった態度という鎧」を出来得る限り装備して、会話に挑む。それが「着ぐるみ」なのだと思う。
会話する一瞬一瞬は「穴」「空洞」「カラ」だ。
重装備することは必要だ。それは私が最低限可能な、他者への心配りであり配慮であって、数時間後検討した時、自己肯定できる「優しさ」の感情を作ることができる「態度」であると思うから。だから、fuuuuuuunさんは優しいのだと思う。誰も、思考の道筋のつけかた、感情にたずなをつける方法を教えてはくれないけれど、自分自身を自覚すれば、時間は必要だけれども正しい方向へ進めると思っている。
様々な種類の鎧をコレクションに展示して、その展示室を楽しむ余裕が要る。咽喉から手が出るほどに、「情報」が切実に欲しいと感じているし、「態度の情報」だけでは、実のところ不十分だと感じている。「認知からの情報」「時間差としての情報」「対応としての情報」「集団としての情報」――これくらい欲しい。
情報は周囲の壁を厚くするセメントのようなものだ。情報が集まりきらないと、「まだだ、まだ全然足りない」と穴だらけの思考を見て埋める作業をする。セメントで一生懸命塗り続け、それでも発生するバグを丹念に取り除く。周囲はやっと白い塀で囲まれ、包囲網が完成する。ふと上を見上げれば綺麗な青空が見えて清々しい気持ちになる。その一瞬だけは幸福になれる。
全てを埋める途中でも見上げてみればいいのかもしれない。けれど、またバグが発生して必ず疲労する、笑顔という感情が生起できない。最初から天上から光が差し込んでいる上を見上げる為には、光の差し込まない徹底的な堀が欲しい。
また「着ぐるみは必要ない」と言うのは控えたほうが良いと思う。「必要である」「必要でない」の判別や、「重き」の置き方、感覚の重心が一方方向になるからこそ、「どれも重要なのだな」と思うしかない。「必要でない」のはどの場面で、「必要だ」というのはどの場面なのか――その処理だけで時間を割かれ、より混迷を深めてしまう。「必要でない」とか「必要だ」という言葉のどれも、結局のところ外界からの無理な要求に聞こえてしまい、どちらも選べなくなる。そうした「必要性」の議論は、私にはそもそもわからない。だから、今「何」が「欲しい」のか、それに重きを置いて、そこからまず現実的な組み立て方という情報を集めることが「必要」なのだと思う。