カラ定義

fuuuuuuunさんのいうカラというものについて考えて、仮説のようなものをたててみた。
カラとは「他者に沈み込んだ<私>が<自己>を逆に見ることによって、<自己>が分岐した他者に沈み込んだ<私>の思考と一体化し、同化し、その結果として表出した行為の連続性」だと考えています。
「人格」や「自分」という連続性のあるものが、絶対的に実体があるという言葉で自己の「人格」は圧迫され、包摂する概念を持った言語によって<私>は網にかけられる。呪いの文脈は、私にとっては文脈を発した人間の思考と彼らを取り巻く呪縛によって全身から発せられている。
「社会的文脈」ではない「主体的文脈」において、人間の内在化された「存在不安」そのものを「顕在化」させた後、「他者」と「自己」の関係性の中にこそ<私>は確実に存在して、だからこそ<あなた>も確実に存在しているのだという文脈です。
「他者が欲しがっているものを分析する」ことが自然に行なわれるには自分をカラにする必要があり、それが尊いことであることを私は知っています。