全体概念と類推

「みんながんばっているんだよ」 このような共感を求める言葉は、何故か「私」の認知では「死ね」になるらしい。困ったものだ。この認知を緩和する為にも、自己認知療法だけではいけない、自己催眠を行い、自己の理解を深めないとだめだ。 「みんながんばっ…

欲求―過去の痛み、経験の融和

私は、今も過去も、同時生起しているものと考える。過去を思い出している”私”は現在に居る。その時点で、「時計」としての過去はあっても「認識の過去」はない。もし、「歴史」というものが客観的なものとしてあるのならば、それは時間として過ぎ去った、他…

論点整理2

論点整理 - Double Lineの続きになります。 姨捨山問題と、200円の加担と間接的な加担となる行為はやはり別として、私は捉えています。捨山問題は「間接」ではなくて「直接」という重さに近いものだと思っているからです。個人が個人にたいする行為、それが…

論点整理

これまでの論点を私なりに整理しようと思います。 「間接的」な関与が殺人にあたるかどうか、という問いを問われて答えましたが、本来、議論の骨子は「当事者の問われたときの感情と、その問いは果たして問うてもよいものかどうか」であったと思います。 私…

思考と行為

ホームレスの人を助けなかった私 - G★RDIAS その答えは、自分の中で考えたい。 いじめ問題にしてもそうですが、周囲にいた、見ていただけで「加担」になるのだと思い責めている人もいるのかもしれません。 「何もしなかった」「何も出来なかった」とい…

ループループ

AさんはAさんにとって重く感じられることをBさんに対して指摘するが、BさんにとってはAさんが重く感じることはさほど重く感じられず、むしろBさんの「指摘の言葉」が重く感じられて反発し、反発されたAさんはBさんが「真面目に考えてない」「問題から逃げよ…

立場とアイデンティティ

XY軸平面上にいる人々は「立場から物事を捉える状態」、XnYn軸平面上にいる人々は「意識をどの立場に置いて感情を発露したらいいかを考え、AとBの乖離を狭めようと考えている状態」、そして、「それら立体状を網羅している状態」の三通りがあります。それぞ…

いろいろな角度から

「本当は、できるでしょう?」の原初的風景 - G★RDIASからはじまった議論を勝手ながらまとめてみます。 uumin3の日記- 道徳的詐術 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070410/1176166551 呪詛解除師ニーチェ −ティロリロリン♪ニーチェはシャナクを唱えた…

実存からの思索――罪、生と死

「自責としてならよいが、他人の責任を追及するような言い方はいかがなものか」という言い方が複数散見された。これは単に、「他人から責任があると言われたくないだけ」なのではないか、という感じもした。ただそのことが、暴力だという批判は承知している…

無関心なコミュニケーションにあらず

なにか回りくどいことを書いているけれど、私が思うのは、このテストの分類でいう純粋な「無関心型」は、「私は非コミュ」と自分を規定するケースが少ないんじゃないかな、ということ。 無関心突出型非コミュについて - 深く考えないで捨てるように書く、ま…

欺瞞のCANと、DOの承認

福祉倫理の論理的論考 - Double Lineでは、「環境」の不足によって行動の責任の圧迫感を感じるか、という視点に立って考えてみた。けれどよく考えてみれば、「持っていない、だからできない」という人はやはり少ないのだろうか、と考えて、もういちど考える…

「排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異」

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異作者: ジョックヤング,Jock Young,青木秀男,伊藤泰郎,岸政彦,村澤真保呂出版社/メーカー: 洛北出版発売日: 2007/03メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 56回この商品を含むブログ (52件) を見るコミュニティと…

福祉倫理の論理的論考

http://www.arsvi.com/0w/ts02/2006055.htm 優生学・家族負担・尊厳死 - sugitasyunsukeの日記 姥捨山問題と僕 - モジモジ君のブログ。みたいな。 姥捨山問題をめぐって - G★RDIAS 独り言メモ - 泣きやむまで 泣くといい 姥捨て山の尾根を歩く - キリ…

帰属意識/コミュ

2007-04-08 - setofuumi製作所 - オレ理論 例えば、ある場所にコミュニティというものが「表札(私はこういった者ですよ、とかこういったカテゴリですよ、という)」に掲げられていた場合、それを見た人はまず、「カテゴリの中にいる人」という風に見る可能…

感情の増幅反撥、その受容

閉じられようとしているサイトを見て、なんだかとても悲しくなった。閉じてしまう、ということがではなくて、閉じるのをやめて欲しい、ということではなくて、「とても深い心の傷を負ったままやめてしまう」ということがとても悲しい。 何にしても言葉に対し…

戦争と実存、自由の欺瞞的楽園

実際、ぼくが赤木氏の文章から最大の危うさを感じたのは「希望は戦争」というところではなかった。高度成長期世代へのむきだしの憎悪でもない。東北地方の零細な仕立て屋の老人(奥さんはアルツハイマーで長期入院中で、医療費の支払いで年金の多くが消えて…

前を向いて歩けば、足元には何がある?

「「個」として強く生きること」と「ウェブ・リテラシーを持つこと」の関係 - My Life Between Silicon Valley and Japan 「何かの専門性」と、「好き」を共有する友達のネットワークと、そこに働きかける「営業力」 - My Life Between Silicon Valley and J…

空気と気持ち、言葉と穿ち

色々な考え方を見て、「好きなことをやれ」「正のエネルギー」の言葉のことを考えさせられた。 このメッセージを「共感」して受け取れる人は、きっと元々「好きなこと」があって「正のエネルギー」のポテンシャルが高い人なのだろうと思える。梅田氏が今どう…

カラショック

http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070330/p1 この感覚は今まで言葉に出来なかったけれど、うまく説明できていればとても嬉しい。 「何がやりたいの?」と「内面の意志(のようなもの)」を意志確認の文脈で指摘された時、全てが空白になるような感覚で自覚…

感情のカラと認知メソッドの重要性

http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070328/p1 色々と「着ぐるみ」の状態を想像されているけれど、私はこの状態がよく分かる。私も、誰でも彼でも「受付のお姉さん」のメソッドをやってしまう。スーパーの店員にも、歩いてぶつかった人にも、親戚にも。まれ…

空気

「空気」とは、その「場」において完結した「物語」。快い物語、不快な物語、号泣する物語、憤慨する物語、首肯する物語、鸚鵡返しにする物語、反撥する物語、疑問する物語、愛する物語、共感する物語、平凡な物語、無言な物語、フラットな物語。「場」とは…

情報認知

http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070327/p1 ああ、なんだか分かるなあ。私も「支配」というのを母にどうやってもしてしまうことがある。そして後でこんがらがってしまった糸そのものを見て落ち込んで「もう、いいや」となる。「どうしてきっちりとした時…

生きる事をかけて

「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する - モジモジ君のブログ。みたいな。 深夜のシマネコBlog 以前カルネアデスの板 - Double Lineでも同じことを言ったけれど、考えさせられる言葉があったのでもっと考えてみよう。 そして、生き残る僕らにとっては幸…

正義は世間にありという不安

普段から差別表現と受け止められる可能性のある罵倒発言をしている人が「差別」だということ - ARTIFACT@ハテナ系 そう、私も少しだけバックラッシュを恐れている。何故バックラッシュが起こるのを恐れているかと言うと、大衆による「正しき」意見と「己の正…

タフ

このような「世間」に対して個人は、その辛さや悲しみを美に転化してリアリティをすりかえるしかない。そして、このような生存の美学を、「世間を泳ぐ」生活技能に織り込みつつ「タフ」になり、その「タフ」になるということ自体を美学的に自負することで現…

カルネアデスの板

戦争を待望するワーキング・プア - アフガン・イラク・北朝鮮と日本 私は国内情勢にも、国際情勢にも疎い側面があるので勉強したいと感じているが、やはり右翼、左翼と言われるとどうも「?」となってしまうのだ。それぞれ立場は存在するけれど、その中にい…

個体/集団

とあるムラ集団があった。彼は行動することで、可能な限りの生存可能性を探る。自力で、可能な限り様々な可能性を行為で潰していく事によって、残った可能性を見つけ出すという類推過程をたどる。個体を生き残らせるために、集団という塊を創りだし、群れを…

視野の広さ、という主張をする檻

人生は神ゲーだ 自らをメタ視点でパラメータ化・見下ろし化する傾向が、“戦略的に自らの人生をマネジメントすることに慣れているが故に”であれば良いのだが、私見では、“多くの人はそうではなく自らの人生の影やドロドロしたものをcut offする為に都合の良い…

メタ視点の有益性

メタ視点という思考の道 例えば、一つの一車線道路があったとして、そこに車があるとする。私はその車に既に乗っていて、ハンドルを握っている。進んでいくと右、真ん中、左といった三叉路に別れていた。看板も何もなく、何処へ進めばいいのかもわからないか…

出口からの脱出

本当は、諸手を挙げて自分も自分も、と病態に対して軽々しく手を上げてはいけないのかもしれない。ただ、そこで思い出したことがある。以前、私は「鬱病の人と鬱病と自己診断してそうだからしょうがないという人がいるから」という分析と証した分別させて定…